不登校について

社会問題にもなっている不登校についてです。

この間、ニュースで取り上げられていたので考えたのですが、
人間関係が複雑になり対応の仕方がわからず
「学校に行きたくない」と言えずに思いつめて悩んでしまう子が
多いと聞きます。
義務教育の期間が6才から15才までの9年間となりますが、
生まれてから6年から15年までは家と学校での生活が
生活のベースと考えますと、
学校に行きたくなくなった場合には
素直な子、まじめな子ほど
「自己否定」をしてしまうだろうなと感じます。
 
何よりも、入学式やお祝いしてもらった事、
家族みんなが喜んでくれた事、
自分も友達を作ろうとか勉強頑張れるかな?とか
色々前向きに楽しい学生生活を期待して入った場所を
否定しなくてはならないので
心中複雑で思いつめてしまうと思うのです。
 
「学校に行けなくなった」というと、みなさんはどう感じますか?
社会に適応できないのかな?
心が繊細でうまく立ち回れないのかな?
理由は色々だと思いますが、
私は、学校に行けなくなった子に対して
社会がもう少し寛大に見守れる仕組みがあったり、
親や当事者に(それはそれで大丈夫だよ)と
思えるようにしてあげられれば良いと考えます。
 
具体的には、
不登校になる直前に本人が「まさか自分が」と思うと
どんどん辛くなります。
普段から「誰にでもいつでも起こり得る事だ」というように
考えられれば、ダメージを減らせますし
周りの人に相談しやすくなると思います。
 
もう一つは、
学校に行けなくなってしまった場合の
代わりの場所を提供することです。
人間は他人との関わりを持つ事で
他者献上、活力の交換をして成長、自己肯定が出来ます。
こういう場所さえしっかりと存在・認知されていれば
「学校は向かなかったとしても他にも道がある」と思えて
行き詰まらなくなると思います。
 
もちろん、学校に行き、勉強・部活・交友関係コミュニケーションを
スンナリ学び続けられる事は理想ですが、
うまくいかない人も当たり前にいます。
「人生とは、良い学校を出て、良い会社に入り、
収入を安定的に得続けられるが良しというだけではない」
いうことを社会が示してあげられる事だと私は考えます。
 
それどころか、むしろ、言い出しづらい空気を
世の中が出してしまっているのではと私は思うのです。
相談しやすい環境を作ってあげれば
そういう子供達もふさぎ込まずに
躓いても立ち上がり前を向いて歩けるようになると思います。
 
学校に行きたくなくなってしまった子達に
私が伝えたいことは、
「今は嫌なことや辛いことで
 心の中が埋まっているかもしれないけれど、
 ちょっとした良い事でも心に埋め続けていければ
 そのうち嫌なことや辛いことはどんどん薄まっていく」
ということです。 
 
学校に行きたくない、行けなくなった自分を
周りの人はどんな目で見るか、見てるか不安だけれども、
「言いづらい」という事は
既に周りの人達のことを相当考えた結果であり、
「相手を思う気持ち」のはずですから、
それよりも、しっかり笑って生きていく道を
作ることの方が重要だと、私は思っています。
 
その理由は、学校を離れても人生は続くからです。
学校に行かないことは逃げたこと、
それにより人として脱落のレッテルを貼られるという事は
ありませんよ。
どんなことでも合う、合わない当然あります。
自分で責任を持って生きていくのであるなら
誰の視線も気にする必要はないと私は思います。
ちょっと休憩しながらでも、歩き続けていってほしいです。