バースデイ

こんばんは。

昭和51年7月31日、私の生まれた日です。
今日で43歳になりました。
夏休み中の次男が、クラッカーを準備して
冷えたビールのプレゼントでもてなしてくれました。
ケーキのろうそくも、なぜか誕生日ではない自分の分まで用意して
「誕生日のおもてなし」をしっかりと楽しんでおりました。
(寝る前には「今日やることはすべて終わった」と満足して
眠りについておりました 笑)
 
その昔は、こういった"誕生日に祝ってもらう"というのは
恥ずかしいような時期もありましたが、
だんだん年とともに、"思いっきり祝福を受けよう"というように
変わってまいりました。
 
私が"誕生日"で思い出す話で、
とある現場でボード屋さんの私より年上の職人さんが
「かずあきが来週誕生日だから祝ってやろうな!」と
携帯電話で同じ会社の職人さんたちと
約束を取り付けていたのを思い出します。
この職人さんが何度もいろいろな方の誕生日会の段取りを
つけてるところを目撃しました。
今改めて考えてみると誕生日はみんなに平等にあるものです。
(「今さらかい!」と怒られそうですが…)
その日にお祝いをしてあげるというのも自然な流れになっています。
お祝いは単純に考えても、人からされれば嬉しいものですし、
さらに"生まれた日のお祝い"というものは
みんなと自分という存在を再認識できるようなものであり
そういったことが"辛いことがあっても、もう一踏ん張りできる"といった
心の糧になるような気がします。
思い返してみると、その職人さんはちょっと強面な感じの方ですが
心は優しい方でした。
今でもたまにその時のことを思い出します。
 
話は変わりますが、誕生日会以外ですと送別会というものもあります。
私は性格的に涙もろいところがあり、
今まで勤めていた会社を離れる時や習い事などを退会する時などの
送別会を開催されるのがなんとなく気まずく感じるため、
あえてそういう会が行われないように調整をして辞めているところが
多々あったような気がします。
そんな会を開かれてしまったらずっと泣いてしまって
会が終わるまで下を向いてしまうといった場面が
なんとなく想像されるためです。
自分の場合ですとそのようなところがありますが、
誰かの送別会をやるといった場合には参加するようにしております。
仲が良かった方であれば、しばらく会えなくなるのなら
その時くらいは一緒に過ごしたいなと思いますし、
それほど親密でなかったとしても、
送別会はできるだけ多く人が集まった方が賑やかで楽しい雰囲気で
その方を送り出せますし、
普段たまたまお話ができなかっただけで
その場でいろいろと知ることができてその後につながりを持てる
可能性もあったりします。
こういった会というものは人のつながりに改めて気づかされる
機会でもあります。
 
私もこれからは、家族・友人・知人の誕生日には
「おめでとう!貴方に会えて、同じ時代を生きられた事は
 とても励みになるよ!」と、しっかり伝えていきたいなぁと
感じております