責任を背負うのは何の為?

どうも!KEN塗装の八木田謙二です。
最近、「責任」について考えておりました。
「責任は極力回避できたら助かるなぁ…」などと思ってしまうのが
人の常では?と思いますし、
また「責任が重ければ重いほど頂ける「お金」も増えるのか?」

というと、そういう訳でもございません。
 
なので、たまに
(こんなに責任を背負わさせられて
 ご褒美が少ないのでは放棄したい…)
と思ってしまうときというのは正直あります。
 
ただ、私の場合、

この「責任」を一度放棄をしてサヨナラとしてしまうと
一時は楽になったような気はするのですが
お金どうこうの話ではなくて

人としての厚みがなくなるというか

ふわふわしたような姿が人に見られてしまうような気がします。

 

特に親しい人には

「浮いちゃってるけど大丈夫?」であったり
「顔の締まりが抜けてるよ」であったり
「心ここに在らずっていった感じだね!」といったように
心の中を見透かされてしまうようなこともありました…。

 

このように「責任」を背負っていると

不思議に周囲に集まってくれる人達も

似たような「責任」を背負っている人が多くなります。
(本当に不思議です)
似たような「責任」を背負ってる人たちは

先ほど書いたようにすぐに気付いてくれます。

(本当は気が付かれてはよくない事だとは思いますが…)

そして、こちらが具合悪い時には励ましてくれたり
苦しんでいる時は応援をしてくれて…と
日々こちらの状態をチェックしてくれて

「責任を背負える自分」というところに留まらせてくれます。
こういった「有難いなぁ」と思う瞬間というのは

正直、今まで何度もありました。

 

そう考えてみると

「責任」を背負って生きていくという事は
「自分自身をしっかりと大地につなげてくれる人達と

 お付き合いさせて貰えるチケットなのかな?」と感じられ
「お金がそれ程貰えないのにこんなの割に合わない!」

といったような不満も少しは解消されるような気がします。
 
また、一度「責任」を自ら手放してしまうと
責任の神様が遠くに行ってしまうといいますか、
「もう一度背負ってみようかな?」と思った時にも
中々背負わせてくれなくなるような気がしてます。

 

なので、毎日少しずつでも責任を分割でもいいから果たしていけるように
考え方をシフトした方が色々と良さそうだなと感じました。
 
今回は少し説法のようなお話になってしまいましたが
深い意味は全くございませんので気楽に見て頂けたらと思います。
それでは次回のブログでまたお会いしましょう!
さようなら👋